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archive~2「継続という蓄積によって理想を追求する」

 2009年に1098Rで全日本ロードレース選手権のトップカテゴリーであるjSBクラスに、
自らの運営するチームで参戦した須貝義行。
そして選んだマシンはドゥカティ1098R。
 だが1098RにはJSB用のキットパーツやセッティングデータがほとんどなかった。
それで全日本を戦うことは、レース素人の目からするとハンデが大きすぎるように思えるのだ。
 しかし須貝は1098RをJSBマシンへと開発しながら、1シーズンを戦い通した。
予期せぬトラブルやレースアクシデントもあったが、さまざまなデータを収穫できた年となった。
 そして2010年シーズンは、須貝の姿が起爆剤となったのか、外車でJSBクラスにエントリー、スポット参戦の台数が
少しばかり増えた。
もちろん須貝は2010年シーズンも1098Rで継続フル参戦することを決意していた。
 では1098Rで目指す須貝のゴールは、どこにあるのだろうか?
全日本ロード選手権の開幕戦となった筑波サーキットで、継続参戦の意義やレース人生観について再び訪ねてみた。

  *******

須貝●自分のこだわりを反映したマシンを作ってみたいというのが、
   1098RでJSBクラスにチャレンジするひとつの大きな動機です。
   そのこだわりを追求するためには、フル参戦=継続 していくことが、
   自分のなかで大切な事です。


―― 継続が大切という意味は?

須貝●たとえばドゥカティをレース用に改造するなら、
   ブレーキはブレンボ、サスはオーリンズ、ホイールはマルケジーニ、
   エキゾーストシステムはテルミニョーニという定番があるでしょう。
   でも自分の1098Rはそうではない。
   ブレーキはニッシン、サスはWP、ホイールはアドバンテージ、
   エキゾーストシステムはオリジナルとなっています。


―― 確かに変わっていますよね。

須貝●彼らは1098R以前からレース活動を協力してもらっているパートナーで、
   私のこだわりに応えてくれるからです。
   だから私も彼らにフィードバックできる、役に立つデータを残しています。
   そういう信頼関係を継続することで関係が深まり、
   こだわりを反映したマシンが少しずつかたちになっていくと思っています。


―― スイングアームも片持ちではなく、両持ちに変更していますね。

須貝●2009年の序盤は、予定ではSBK用の方持ちスイングアームを使おうと思っていた。
   ところが注文しても入荷時期が未定。そのまま開幕となってしまい、
   ノーマルを使うことになってしまった。
   ところがブリヂストンのスリックタイヤとのマッチングが良くない上に、
   右コーナーと左コーナーでフィーリングが違うという問題も解決できなかった。
   SBK用もいつ届くかわからないから、中盤からオリジナルの両持ちスイングアームに踏み切った。
   999のデータを活用したので、ブリヂストンタイヤとのマッチングも良くなりました。
   でもエキゾーストシステムは取り回しが変わるので、オリジナルへ変更することになってしまった。
   大変だったけれど、長年使ったブリヂストンを継続して使いたいという、こだわりもありましたから。


―― いままでの蓄積から1098Rが生まれると。

須貝●1戦のみの参戦なら成績を重視して、
   そのサーキットに強い特定メーカーのパーツで勝負に出ることも、
   レースでは好成績を残す手段の一つです。


―― でも、それでは意味がない。

須貝●そう、意味がない。
   さらに、そのこだわりを全日本ロードレースのトップカテゴリーであるJSBクラスでやることに意味がある。
   たとえば若手ライダーは、レースで成績を追求することが一番重要な時期でしょう。
   でも、すでにベテランという年齢に達した自分のレース人生では
   成績に加えて、バイクをイチから開発し、そのためのチームを運営
   するというふたつの経験は、どちらも貴重なものです。
   いまの参戦体制によって、ライダー、チーム監督、インストラクター
   を含めた自分のレース人生の幅が広がっていると感じています。


―― JSBクラスにこだわるのは?

須貝●いまJSBクラスのレギュレーションは、参戦コストと結果のバランスが
   うまく取れていると思うからです。
   なおかつ全日本ロードレースのトップカテゴリーである。
   その舞台で自分の理想とするバイクを追求です。いまのJSBクラス
   だから1098Rでの挑戦を思い立ちました。


―― 昨シーズンでマシンの開発は、理想に近づきましたか?

須貝●昨シーズンは最後2戦のツインリンクもてぎと鈴鹿でマシンの
   フィーリングが良くなった。
   とくに鈴鹿は良かった。でも、この2戦はアクシデントに巻き込まれて
   結果は残らず、悔しかった。
   その仕上がりを期待して今シーズン開幕に筑波に臨んだけれど、
   決勝までにマシンを仕上げきれなかった・・・
   そのため予選は16番手。それだけではなく、決勝直前まで
   フロントのタイヤウォーマーが故障している事に気付かなかった。
   決勝は気温も低くて、冷え切ったタイヤでのスタートとなってしまい
   序盤はペースが上げられなかった。
   タイヤが温まってからペースを上げたが、12位でゴールするのが
   やっとで、苦しい開幕になってしまいました。


――バッドラックでしたね。

須貝●タイヤウォーマーのミスは別として、まだ1098Rが理想のレベルに
   達していない事を再確認しました。個人参戦という体制なので
   厳しい面もありますが、理想に向かって1098Rを仕上げるつもりです。
   そういう部分も含めて須貝のレースを応援してください。
   よろしくお願いします。


 *******

 須貝の選んだJSBクラスへアプローチは、最初から平坦でない事は本人も承知だった。
しかし須貝がそれでもドゥカティ1098Rを選んだのは、

「自分が操っている」というライディングの楽しみを思い出させてくれるからだ、

という。
そのドゥカティに自分の経験とこだわりを注入した理想のマシンを生み出すことに
須貝はレース人生を賭けて戦っているのだ。
 開幕戦は予選を16位で通過して決勝に臨むも、タイヤウォーマーのトラブルによりスタート直後からしばらくの間は
コーナーを攻めきれず、徐々に順位を後退させてしまう。
タイヤが温まってからスパートをかけ、ダンロップコーナーでは火花を散らすほど攻めの走りで順位を上げていき、
結果は12位。
外国車勢ではもっとも高い順位で開幕戦を終えた。
 昨シーズンに続いて確実に進歩している須貝の1098Rが、今後どのように進化するかを観察してみるのも
ドゥカティオーナーにとっては大きな楽しみである。

今年も1098Rと須貝に期待したい。

                     ドゥカティバイクス 2010年 vol.6より
   

  

archive~1「走り続ける熱き男たち」

89年に全日本シーンに登場。95年に世界GPにも赴き、
翌年に日本に戻ってからは鈴鹿8耐で活躍。
デイトナBOTなどにも参戦し、最近は全日本では異色のドゥカティで
JSBに挑戦し続けているのが須貝義行だ。
 須貝はメーカー契約をしていたり、あるいは他にしっかりとした稼ぎ口を持っている訳ではない。
かと言って、全日本ライダーがレース賞金で生活できる訳もない。
ライディングスクールのインストラクターや、車の販売など、
やれることは何でもやっている。
レース活動もプライベート参戦。マネージャーと二人でスポンサー活動をし、スタッフを集めてチーム運営も行う。
 今年44歳。須貝は「レースで生活していきたい」「GPライダーになって豪華な人生を送りたい」といったことは、
一切考えていない。
それならなぜ、レースを続けているのか。


 須貝がレースを始めたのは、高校を卒業してからだった。
それまではサッカー少年。オートバイに興味を持ったのは中学生のころ。
当時の殆どの男の子は、年頃になると一様にバイクに興味を示したが、
須貝のバイクへの興味も、その域を超えてはいなかった。
 「だいたい、それくらいの年になると同級生がバイク雑誌を学校に持ってくるようになるじゃないですか。
それをみんなで見て、かっこいいだの何だのって話をするようになる」
 しかし須貝は夢中になっていたはずのサッカーに、疑問を感じるようになっていた。
「サッカーみたいなスポーツは不公平だから。
よくみんなモータースポーツはマシン差があるとか、タイヤがどうとかで不公平だって言うけど、俺に言わせればまるで逆。
サッカーみたいな競技は体が勝敗を決める。高校くらいになると、がっしりした体格の選手には勝てなくなるんですよ。
かと言って俺は懸命に食べても、体格良くはなれなかった。足が速ければ強くなれるけど、それも頑張っても限度があった。生まれ持ったDNAとか、育った環境とかでついた差は、いくら努力をしてもどうにもならない。
それこそが不公平でしょう。いくら考えても勝てないし。」
 サッカーを続けていても、越えられないものがあると悟った。須貝の目はロードレースに向いた。
 19歳でレースデビューを飾り、SUGO選手権で優勝も経験。一気にレース熱に浮かされていく。
進学校に通っていた須貝は、周囲に流されて大学に進んだ。
アルバイトをしたり、親に借りたりしながらレース資金を調達し、のめり込んでいった。
地元のオートバイ屋、北雄モータースでツケでパーツやタイヤを買った。
マシンは中古のレーサーを買った。ツナギはサンプル品を安く手に入れた。
 翌年の1986年にはSUGO選手権のSP250チャンピオンに輝く。
「このころから世界で走りたいっていう気持ちが生まれた。あまりすごいやつっていうのがいなくて、
SUGOではほとんど抜かれた事がなかったから」
 筑波選手権にも遠征した。エントリー台数が640台、予選16組という全盛期。
さすがにSUGOでは最強の須貝も、予選落ちを経験した。

「予選落ちが嬉しかった。もっとすごいやつらと走ってみたいって思ったんです。」

 筑波選手権には須貝よりも速いライダーがたくさんいた。それならば世界にいけば、「もっとすごいやつがいるに違いない」と思った。
 87年にはSUGO選手権N250Rで全戦全勝のタイトルを獲得。さらに筑波選手権N250もチャンピオンに輝く。
大学も中退し、ますますレースにのめり込んだ。
 88年には自分でホンダRS250を購入。
それをきっかけにバムレーシングに所属。89年に国際A級に昇格した。
注目ライダーだった。しかし須貝はファクトリーに所属する事もなかった。
ただただ、自分のタイムを削っていくのが楽しかった。コースを攻略していくのがおもしろかった。すごいライダーとの競り合いに胸が躍った。
92年にはスポンサーを取ってきてくれる人がいて、自分のチームを立ち上げた。


 須貝が夢見ていた世界に挑戦できたのは、29歳の時だった。
クラスはGP125。
「別に参戦クラスにこだわっていなかったから、話をもらってそのまま契約サインをした。」
 ほぼ10年前に行きたいと思い始めたGPに、実際に行った。
 
 「世界はすごかった」

その一言に尽きた。当時は日本人ライダーが多数、世界GP125クラスで活躍していた。ちなみに、須貝が参戦した95年に世界タイトルを取ったのは青木治親だ。
「本当に世界のレベルはすごかった。抜かれた時のスピード差は、何とも言えない。甘さがないんですね。」
 GP250クラスで原田哲也とマックス・ビアッジの争いを見た時は、震えを覚えた。
「2台がずっとテールtoノーズで争っていた。3位以下を引き離していたんだけど、その3位争いをしているのも、名だたるトップライダーたち。それを置き去りにしていること自体がすごいし、さらにその2台の争いがすごかった。」
原田は勝てなかった。それを見た須貝は悟った。
「世界は物や体制が整っていないと勝てない場所なんだ。」
 もちろん、精一杯走った。良い経験にもなった。しかし自分の力だけではどうにもならない物があることを知った。
 後に青木治親が引退を発表した。「レースを続けたいし未練はあるけれど、体制が整わないし、これ以上はできない。」という言葉を聞いた時、世界チャンピオンでも世界で走り続けるのは難しいことを知った。
 夢見ていたGPで須貝はもう一つ、学んだことがあった。
「走る場所は必ずしも世界である必要はない。少しでも自分自身が成長できる場所なら、世界であろうと、日本であろうと、
どちらでもいいことなんだ」
 もちろん、須貝もライダー。優勝もしたい。いいリザルトが欲しい。
それができれば、もっと色々な物が得られるだろう。


「もっとすごいことをやりたい。もっと面白い事をやりたい。もっと上手になりたい。今よりもすごい人間になりたい。
1周前よりも成長していたい。前のコーナーよりも上手になっていたい。」


 須貝にとってレースは、人間が成長するためのもの。
「だから、もう世界にはこだわっていないんです。全日本にもすごいライダーはたくさんいる。伊藤真一、中須賀克行。
他にもたくさんすごいライダーがいる。」
 19歳でレースを始めた時に、『すごいところで、すごいやつらと走りたい』と思った須貝少年は、それから四半世紀が過ぎても、やっぱり『すごいところで、すごいやつらと走りたい』と思い続けている。

 ドゥカティのマシンで全日本に参戦するようになったのは03年から。常に成長したい須貝が、そのために選んだ新たな挑戦の形だった。
様々な苦労はあった。それでも工夫を凝らすのが楽しかった。さらに、ドゥカティのマシンは、日本メーカーのマシンにはないものがあった。
 「色々と煮詰めながら成り立っているから、バイクと溶け込んでいるような一体感があるんですよね。
日本車は4年でフルモデルチェンジしてしまう。その分、最善の物を集めて、良いものが出来上がっている。
でも日本車に乗るのは、つるしのツナギに体を合わせるくらいに、多少でもどこか我慢をしなければならない部分が出てくるんですよ。
ドゥカティは、そういうのが柔らかくて、一体感が味わえる。」

 何歳までレースを続けるのか、聞かれる事がある。須貝は一切、考えていない。
「19歳のころから、先の事を考えたら人生がつまらなくなるなって思い始めた。やりたいことをやらないと、結局は何年かしたら、やっぱりやりたくなるに違いないから。
もし、後で苦労するようなことになったとしても、クヨクヨするくらいなら、やりたいことをやろうって思った。」
 今でもそう思っている。だからこそ、いくつまでレースをやるとか、今後の生活をどうするとかを考えてはいないのだ。

「どうやってモチベーションを保っているの?って聞かれることがあるけど、
逆にモチベーションを保つ必要なんてないんですよ。」
 須貝は、やりたいことをやっているだけ。

 「レースはおもしろいから」

おもしろいことをやるのに、モチベーションを保たなければならない状況に追い込まれることはない。
何歳まで続けようかを考える必要もない。
 「続けるからには、良い結果を残したいですよ。とにかく価値のある人間にならなきゃ。」
 ロードレースを続けてきた須貝には、色々言いたいこともある。若手の育て方一つにしても、今のやり方は間違っていると思う。
「今のやり方って、腹が減っている奴にパンをあげてるだけだと思うんですよ。それじゃ若手は育っていかないし、
すぐに離れてしまう。パンを差し出すのではなく、まずはパンの作り方を教えるべきだと思うんです。」
 全日本の開催方法にも言いたい事がある。
「各サーキットで最低2回ずつは開催しないと、データを取っても使えないし、きちんとしたデータを取る事が出来ない。
2か所くらいは、2回開催になるといいんじゃないかなって思う。」
 言いたい事はあるが、今は聞いてもらえなくても仕方ないと思う。
「やっぱり速いライダーになれば、意見も聞いてもらえるでしょ。だからイトシンにも勝ちたいんですよ。」

 須貝の『おもしろいことへの挑戦』は、これからも続く。


ライディングスポーツ 2010年6月号より

ライディングスポーツ6月号、「DUCATI BIKES」に掲載されています!

現在発売中の「ライディングスポーツ」6月号に
「走り続ける男たち」特集で須貝義行が掲載されています。

ライダー須貝のアツい想いが伝わってくる記事です。

是非ご覧ください!!→ http://www.ridingsport.com/backnumber/new.php

また、現在発売中の「DUCATI BIKES」にも
須貝特集(?)が!!
全日本ロードレースの模様と、編集長が体験した
「スーパーバイクエキスペリエンス」のレポートが
掲載されています♪

是非ご覧ください!!→http://www.bikebros.co.jp/vb/index.php?id=1616

ヘルメットのSHOEI HPにて須貝義行出演中!!

今年、SHOEIより新製品X-twelveが発売されます。
その開発ライダーを務めた須貝義行が、
SHOEIのHPにも登場!!

開発ライダーからのx-twelveを語ります。
 
 こちらから↓

http://jp.shoei.com/x-twelve/

バイクブロスでSHOEIヘルメット開発ライダーとして掲載中

日刊バイクブロス にSHOEIヘルメットの新製品
「X-tweleve」の開発ライダーとして
インプレしています。要チェックです!
      ↓
 http://www.bikebros.co.jp/vb_tieup/shoei/xtwelve/02.html

掲載雑誌~バイカーズステーション~

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バイカーズステーションにてカラー2ページで連載中です!
一度ご覧になってください!